基本情報
【日時】2024年8月24日(土) 13:00開場/13:30開演
【会場】島根県芸術文化センター「グラントワ」小ホール
【出演】益田糸操り人形保持者会
【演目】
・寿三番叟(ことぶきさんばそう)
・伊達娘恋の緋廉子 八百屋お七の段 (だてむすめ こいのひがのこ やおやおしちのだん)
・御所桜堀川夜討 弁慶上使の段 (ごしょざくら ほりかわようち べんけいじょうしのだん)
・山本一流獅子の一曲(やまもといちりゅうししのいっきょく)
*このほか、幕間に三味線や人形の解説も行います。
▪全席自由 一般 前売500円 当日600円(税込)
▪高校生以下無料
【当日券の販売について】
当日券は、グラントワの「総合案内カウンター」にて販売いたします。
公演当日は販売窓口が混みあいますので、余裕を持ってご来場ください。
【チケット購入について】
会場(小ホール)への入場は先着順です。
お客さまの都合による払い戻し、紛失による再発行はできません。予めご了承ください。
【チケット発売日】7月7日(日)
【販売窓口】
▪島根県芸術文化センター「グラントワ」総合案内カウンター 0856-31-1871
(営業時間 9:00~18:00/ ※発売日のみ、窓口10:00~/電話予約12:00~ 開始)
▪オンラインチケット「シマチケ」 「シマチケ」での購入はこちらから
※車いす鑑賞エリアをご利用の方はグラントワへお問い合わせください。
益田糸あやつり人形は、昭和38年7月2日に「島根県無形民俗文化財」に指定されました。
益田に糸あやつり人形が伝わったのは、明治20年ごろといわれます。当時、東京浅草で糸あやつり人形芝居を興行していた山本三吉が、その衰退を懸念し関西から益田に居を移すと、当時盛んであった浄瑠璃の愛好者たちの集まり「小松連(こまつれん)」に迎えられたことに始まります。のちに彼の指導のもと、現在の益田糸あやつり人形芝居が形作られました。
この人形芝居は、人形操者、太夫、三味線、後見の4役で上演され、地は義太夫節です。人形の操法は、遣(つか)い手が高さ1.5メートルの歩(あゆ)み板の上から、丈約70センチの人形の各所に13本から18本の糸が繋がった、四つ目と呼ばれる手板を使って人形に微妙な動きを与えるもので、この操作には熟練を要します。 この操法自体が東京の結城座(ゆうきざ)や竹田座(たけざや)に現存する改良されたものとは異なっており、益田糸あやつり人形のように古い形態をとどめたまま上演されるのは、わが国で現在上演されている糸あやつり人形の中で唯一無二のものといわれます。
「寿三番叟」
「傾城阿波の鳴門 巡礼歌の段」
「加賀見山旧錦絵 長局の段」
三十三間堂棟木の由来 平太郎住家の段
(さんじゅうさんげんどうむなぎのゆらい へいたろうすみかのだん)
白河法皇は熊野山中の柳の木の梢に前生の髑髏がかかっており、風が吹く度に頭痛を起こされていた。法皇の病気平癒祈願のため、その木を棟木として三十三間堂を建立する事になった。この柳は五年前に秋仲の鷹狩りの際、鷹の足緒がからまって切られかかったところ、平太郎の一矢で免れた木である。恩返しのために人の姿となった柳の精お柳は平太郎の妻になり、緑丸という子を設けていた。柳の木を切る音が聞こえる。お柳は苦しみに堪えつつ平太郎に身の上を明かし、法皇の前生の髑髏を渡すと、これを手柄として出世するように言い残して消えて行った。街道では柳の木を切って運ぼうとしたところ突然動かなくなり難渋していたが、緑丸を連れた平太郎が是非綱を引かせてほしいと頼む。平太郎の木遣音頭で緑丸が綱を引くと、柳は易々と動くのだった。
義経千本桜 すしやの段
(よしつねせんぼんさくら すしやのだん)
すし屋「釣瓶鮓」には、主人の矢左衛門、女房のお米、娘のお里、美男の手代弥助が暮らしている。実は弥助は三位中将維盛であり、身分を偽って使用人にみせかけてかくまっている。そこに維盛の妻子・若葉の内侍と六代君が一夜の宿を借りに来た。弥助と夫婦になれると信じていたお里は突然の事実を知って驚き嘆き悲しむ。その時村役人から平家探索の源氏方・梶原景時が間もなくこちらへやってくると知らせが入る。お里はつらい思いを内に秘め、健気に三人を上市村へと逃がしてやる。
傾城阿波の鳴門 巡礼歌の段
(けいせいあわのなるとじゅんれいうたのだん)
殿様の刀を取り返すために盗賊となった十郎兵衛(じゅうろべい)・お弓(おゆみ)夫婦のもとに仲間から追っ手を知らせる手紙が届く。お弓が夫の身を心配していると、そこへ巡礼の少女がやってくる。話を聞くうちに、その少女が、ふたりが国を出るとき故郷に残してきた実の娘お鶴(おつる)だとわかる。しかし今は盗賊の身。親子と名乗れば娘にも罪がかかるので名乗ることができない。親探しを諦めるよう言うものの、お鶴は聞き入れようとしない。お弓は親子の情に耐えかねてお鶴を抱きしめ、また娘もいっしょに暮らしたいと願う。お弓は心を鬼にして、涙ながらにわが子を追い返そうとする。しかし今別れてはもう二度と逢えないと思い直し、ふたたびお鶴のあとを追いかけていく。
登場する人形はお弓(親)。お鶴(子)の2体です。
加賀見山旧錦絵 長局の段
(かがみやまこきょうのにしきえ ながつぼねのだん)
中老尾上(おのえ)が上使岩藤(いわふじ)のいやがらせを受け、たくさんの人が見ているにもかかわらず草履で顔を打たれ、恥をかかされる。尾上はこの屈辱に自害の覚悟を決めるが、侍女のお初(おはつ)はそれを察し、いろいろ思いとどまるように画策する。ところが、尾上はお初を自分の母のもとに使いに出した隙に自害をしてしまう。お初は、尾上の旭の弥陀の尊像を岩藤に奪われたことや尾上の亡骸を見るにつけ悔しがりながらも、ついに主人の仇を討つ決心をする。
江戸の浜田藩邸で実際にあった事件を物語にしたものです。
加賀見山旧錦絵 奥庭の段
(かがみやまこきょうのにしきえ おくにわのだん)
お初(おはつ)は尾上の仇討ちのため、岩藤(いわふじ)のいる奥庭へ向かう。「奥庭は侍女のお初が来る様なところではない」と岩藤は言うが、お初は「尾上(おのえ)が病気のために意識がないので、旭の弥陀の尊像を貸してほしい」と言う。驚いた岩藤は頭が痛いと嘘を言ってごまかすが、「頭が痛いのならこのお守りを使ってください」とお初は草履を岩藤の頭の上にのせた。仕返しに来たと岩藤は気がついて、刀で切りつけるが、お初は傘で受け止め、傘の中から旭の弥陀の尊像を見つける。そして、反対に岩藤を討ち取り、なおも恨みの草履で打ち据える。お初は尾上の仇討ちを果たし、尾上のもとへ行こうと自害しようとしたが止められ、岩藤の兄の剣沢弾正(つるぎざわだんじょう)と岩藤の御家乗っ取りの悪事を暴き、旭の弥陀の尊像を取り戻したので、二代目の尾上を名乗ることになった。
絵本太功記 十段目 尼ヶ崎の段
(えほんたいこうき じゅうだんめ あまがさきのだん)
京都本願寺で主君小田春長を討った光秀の母皐月と妻操は、尼崎に隠れ住んでいた。そこに光秀の一子十次郎の許嫁初菊が老婆の体を気遣って訪ねた。おりしも十次郎は出陣のため暇乞にやってきた。祝言もすまないのに死ぬ覚悟の十次郎を見た老母は、初菊との仮祝言を挙げさせて出陣させた。そこへ光秀を討とうと間柴久吉が茶坊主に扮して現れた。久吉が隠れ家に潜んでいることを知った光秀は、竹で槍を作り久吉の潜む一間を突き刺した。しかし、意外にも突き刺したのは老いたわが母であった。あまりのことに愕然とする光秀、瀕死の痛手にもめげずにわが子を諌める皐月、妻操は夫光秀を責める。しかし二人の諌言に耳を貸すこともなく、光秀は再び出陣していくのであった。
増補朝顔日記 宿屋の段
(ぞうほあさがおにっき やどやのだん)
秋月の娘みゆきは宇治の蛍狩りで阿僧次郎と恋仲となるが、阿僧次郎が鎌倉へ行くことを命じられ遠く離れて暮らすことになる。しかし、恋人を忘れられないみゆきは、家出をして尋ね歩くうちに両目を泣きつぶしてしまう。それでも杖を使いながら阿僧次郎が書いてくれた朝顔の歌を唄いつつ巡り歩くうちに、ある宿屋で駒沢次郎佐衛門に会う。駒沢はみゆきの捜し求めている阿僧次郎その人であったが、みゆきの思いにいたたまれなくなって、宿の主人に女扇、金品、目薬をみゆきに渡すようにと頼んで朝早く宿を出る。それらの品を渡されたみゆきは、宿の主人に女扇に何か書いてないかと尋ねたところ、駒沢が女扇に記した一文があることを知り、駒沢が阿僧次郎だと気づく。みゆきは宿の主人が止めるのも聞かず、降る雨の中を大井川の渡しへと急ぐ。
増補朝顔日記 大井川の段
(ぞうほあさがおにっき おおいがわのだん)
みゆきは恋人を追いかけて、降りしきる雨の中をこけつ転びつつ杖を頼りに大井川までたどり着くと、息を切らしながら川越たちに駒沢次郎佐衛門様というお侍はもう川をお起こしなされましたか、まだかと尋ねる。川越はその侍はつい先ほど川を渡ったが今は急な大水で渡しが止まったというので、みゆきは驚き伏して前後不覚に嘆き悲しむ。起き上がると天に向かって自分はどうしてこんなに不運なのかと恨み事を言うが、気を取り直し、この川の水の増えようはどうせ添い遂げられない縁ならばここで死ねとの知らせと考え、まさに川に飛び込もうとしたところへ宿の主人が使用人の関助を連れて駆けつける。関助から話を聞いた宿の主人は、みゆきは自分が若いころ助けられた秋月の娘で、みゆきを助ける浅香は自分の娘であると悟り、刀を腹に突き立てる。皆が驚いているところで宿の主人が「駒沢様に聞いた話では甲子の年に生まれた男子の生血を服用すれば、どんな難病も治る薬である」と話し、「自分は甲子生まれだから早く生血をとり、薬にといてみゆきに飲ませるように」と理由を言う。関助が血を皿に受けて飲ませると、みゆきの両目が開く。みゆきは話を聞き、再生を喜ぶと同時に宿の主人の死を悲しむ。
寿三番叟
(ことぶきさんばそう)
古い猿楽芸を伝えているといわれ、狂言では能の翁と同じように祝言曲として取り扱われており、顔見世興行や正月に芝居繁栄を祈るときにも演じられています。
この人形の頭には「二代目 大江定丸」と作者の銘が書かれています。
伊達娘恋の緋廉子 八百屋お七の段
(だてむすめこいのひがのこ やおやおしちのだん)
八百屋のお七は、刀が入ったことを恋人の小姓吉三郎に一刻も早く知らせ届けたいと思っている。吉三郎は大事な家宝の刀を預かり守っていたが、それを盗まれてしまい、今日中に差し出すか、さもなくば切腹を命じられるという苦しい立場にあった。お七は刀の事を早く知らせようとするが、時すでに遅く木戸が閉まってしまい吉三郎のもとへ行くことができない。困り果てたお七は、そこに火の見やぐらがあることに気がつく。火の見やぐらの太鼓を打てば火事の知らせに木戸が開かれるという話を思い出し、自分はどうなっても吉三郎を助けようと、大雪の降る中、火の見やぐらに登って太鼓を打ち木戸を開かせようとする。
恋人を助けようとする女の一念の物語。
艶姿女舞衣 三勝半七酒屋の段
(あでむすめおんなまいぎぬ さんかつはんしちさかのやのだん)
酒屋あかねやの跡取り息子半七の所に宗岸の娘おそのが嫁いできた。しかし半七は芸者の三勝にうつつをぬかし、夜泊まり、日泊まりで遂にお通という子供まである仲となった。夫婦とは名ばかりであったが、おそのは嫁として舅夫婦によく仕えた。こんなおそのを見た父親の宗岸は、娘が不憫と無理に実家へ連れて帰った。連れ帰られたおそのは日夜ふさぎ込んで食事もすすまない日が続く。この様子をみた宗岸は深く反省して、おそのをふたたび酒屋に連れて行くのであった。
山本一流獅子の一曲
(やまもといちりゅうししのいっきょく)
おめでたい獅子舞を操り人形で演じます。この演目の獅子は、糸あやつり人形がこの地に伝わってきた当時のものです。
三十三所花の山 壺坂寺 沢市内の段
(さんじゅうさんしょはなのやま つぼさかでら さわいちうちのだん)
大和壷坂に住む座頭沢市は琴や三味線の稽古をしながら、美しい女房のお里が賃仕事を力に細々と暮らしていた。沢市は女房が毎晩家をあけるのに疑いをもつが、自分の目があくように壷坂寺へ日参していると知る。貞操な女房を疑いつづけていたことを詫び、すすめられるままに、壷坂寺に参籠(さんろう)することになった。
三十三所花の山 壺坂寺 沢市山の段
(さんじゅうさんしょはなのやま つぼさかでら さわいちやまのだん)
三日間断食するといって、独り残った沢市は、ふがない自分と暮らしていてもお里は、しあわせになれないと思いかたわらの谷に身をおどらせ、これを知ったお里もあとを追う。
三十三所花の山 壺坂寺 沢市谷間の段
(さんじゅうさんしょはなのやま つぼさかでら さわいちたにまのだん)
谷間で二人が死んでいるところへ観音様が現れて二人の前世の因縁を活かされ生を授けられる。お里、沢市と呼ばれる声に二人とも起き上がり、お里がすぐに沢市の目の開いたのを見つけ、お前の目が開いているというと沢市も本当に目が開いた、目が開いたと言って喜び、これこそ観音様のお陰と感謝し、朝日を拝んで杖を収めお礼参りをする。
伽羅先代萩 正岡忠義の段
(めいぼくせんだいはぎ まさおかちゅうぎのだん)
伊達家の重臣・刑部(おさかべ)は、幼くして伊達家を継いだ鶴喜代の暗殺を企む。鶴喜代の乳母・政岡は用心のため実の息子・千松をお毒味役とし鶴喜代の身代わりとなるよう言いきかせる。刑部の一味・栄御前は毒入りの菓子を「頼朝公より下されたもの」として鶴喜代に与えようとする。その菓子を奪って食べた千松は苦しみ、八汐に無礼討ちにされる。我が子を殺されても顔色一つ変えない政岡を見た栄御前は、政岡が子を取り替えたものと思い込み、目的を果たしたと勘違いして狂喜する。後ろでは政岡が役目とはいえ、変わり果てた我が子を抱き上げ一人泣きくれるのであった。
御所桜堀川夜討 弁慶上使の段
(ごしょさくらほりかわようち べんけいじょうしのだん)
源義経の正室卿の君は平時忠の娘なので、頼朝は義経に向かい、平家と通じていない証拠に卿の君の首を討てと厳命する。懐胎の卿の君を預かっている乳人侍従太郎の館へ首受取り使者として武蔵坊弁慶が向かった。しかし、卿の君のただならぬ体に弁慶もさすがに首を討ちかねるので、侍従夫婦は召使いおわさの娘信夫が卿の君に瓜二つなのを見て、おわさに身代わりに立ててくれと頼む。信夫は承知したが、おわさは昔別れた信夫の父に会わせるまでは大切な体だと事情を語り、その時の相手が着ていた振袖の片袖を今も証拠として着ていると話す。この様子を聞いていた弁慶はいきなり障子越しに信夫を刺した。狂乱のおわさに向かい、自分こそその父親だと証拠の振袖を見せ、いまわの信夫に対面の後、その首を主人の身代わりに切った。そして侍従太郎もその首を裏書するため切腹して果てる。
益田糸操り人形保持者会では、後世へ益田糸操り人形を残していくために、一緒に伝統を受け継いでいただける方の募集や、活動支援のための寄付を募っております。益田糸操り人形の公演には、浄瑠璃・三味線・人形遣い・後見など色々な役割があり、それらが一つになって舞台がつくられます。得意な分野をいかしたい方、また習ってみたいと思われる方は大歓迎です。毎週金曜日に益田市立市民学習センターにて練習しています。興味のある方は、どうぞお気軽に見学にいらっしゃってください。
【練習見学・入会・寄付に関するお問合せ】
益田糸あやつり保持者会
島根県益田市多田町1036-33
TEL:0856-22-5808