収蔵品について

地域や分野、年代にとらわれず、古美術から現代美術まで、絵画、工芸、彫刻、写真、映像、服飾等、
幅広く優れた国内外の作品を収集します。美術館を特色付けるため、次の領域に重点を置いています。

森鷗外ゆかりの美術家の作品

石見の美術

ファッション

収蔵品データベース他

森鷗外ゆかりの美術家の作品

津和野出身の森鷗外は、作家や軍医として知られていますが、じつは様々な美術家たちと交流を持ち、日本の近代美術の成立に大いに貢献した人物でもありました。石見美術館では、鷗外と美術とのかかわりを検証するため、鷗外と交友のあった作家の作品を紹介します。

大下藤次郎《猪苗代》

黒田清輝《ポプラの黄葉》

藤島武二《西洋婦人像》

横山大観《水温む》

石見の美術

重要文化財 狩野松栄
《益田元祥像》

富春《蓮葉に蓑亀》

雲谷等益《山水図屏風》(左隻)

澄川喜一《S-32_そりのあるかたち 2000》

ファッション

ファッションという概念を広く捉えて、作品を紹介しています。いわゆる洋服を中心とした「服飾関連資料」、「ファッション雑誌」、「ファッション写真」、またファッションとかかわる「現代美術」、さらには美人画などの女性を表現した美術作品まで、バラエティに富んだ作品群となっています。

森英恵《ジャンプ・スーツ、カフタン》

イヴ・サンローラン《カクテル・ドレス、ケープ》

マドレーヌ・ヴィオネ《イブニング・ドレス》

ガブリエル・シャネル《イブニング・ドレス》

その他

ラウル・デュフィ《水上の祭》

岸田劉生《静物》

長谷川派《武蔵野図屏風》(左隻)

作者不詳《舞踊図屏風》

森英恵と澄川喜一の作品

森英恵の作品

⁨⁩森英恵について

森英恵(1926-2022)
 1926年島根県鹿足郡六日市町(現・吉賀町)生まれ。1947年東京女子大学卒業後、ドレスメーカー女学院で洋裁を学びます。1951年新宿にスタジオを設立し、日本映画の黄金期であった1954年から1960年代にかけて数百の映画衣裳の制作に携わりました。1965年ニューヨークで初の海外コレクションを発表、大胆な色彩のオリジナルプリントと絹織物をはじめとする日本の上質な生地が評判を呼び、アメリカでのビジネスを成功させます。同地での実績が足掛かりとなり、1977年には東洋人として初めてパリ・オートクチュール組合に正会員として加盟を果たします。そのデザインは、西洋の精緻な服作りに東洋の美意識を融合させたスタイルで高く評価されています。
 一方で、1960年代から日本市場に向けて質の高い既製服を発表、ファッションに敏感な若者層に支持されました。日本航空やバルセロナ五輪の日本代表ユニフォームに代表される制服のデザイン、またミラノ・スカラ座での『マダム・バタフライ』など舞台衣裳も多く手がけました。加えて、自身の店のPR誌『森英恵流行通信』を『流行通信』と改めて本格的ファッション誌として発展させ、若者文化に多くの影響を与えるなど、その多方面にわたる活動で戦後のファッション界を牽引しました。

※Google Arts & Culture(グーグル アーツ アンド カルチャー)は、Googleが提供するサービスで、世界中の文化遺産や芸術作品をオンラインで鑑賞できるプラットフォームです。

澄川喜一の作品

⁨⁩澄川喜一について

澄川喜一(撮影:内海敏晴)

 澄川喜一(すみかわ・きいち)は、島根県出身の彫刻家です。全国各地で約100点もの野外彫刻を手がけたほか、東京スカイツリー®のデザイン監修をはじめ、都市の環境造形の仕事を数多く担ったことで知られています。拠点とする首都圏で制作活動を続ける傍ら、2005年の開館時より17年間、当島根県芸術文化センター長の職に就いて石見地域の芸術振興に尽力しました。
 1931年、島根県鹿足郡六日市町(現・吉賀町)に生まれ、山口県立岩国工業学校(現・山口県立岩国工業高等学校)機械科を卒業。1952年に東京藝術大学彫刻科に入学し、平櫛田中、菊池一雄に就いて彫刻を学びました。1959年、第23回新制作展での新作家賞受賞を皮切りに各地の彫刻展で受賞を重ね、特に第8回平櫛田中賞受賞(1979年)、第11回中原悌二郎賞優秀賞受賞1980年)で注目を集めます。1981年には東京藝術大学彫刻科教授に就任し、1995年から2001年まで学長を務めました。数多くの文化貢献の功績が表彰され、2020年には文化勲章を受章しています。生涯一貫して「MASK」「そりのあるかたち」をテーマに制作を続けて現役の彫刻家であることを貫き、2023年4月、92歳で逝去しました。故郷である島根県には、175点の彫刻作品と作家・作品に関する資料を寄贈しました。